フィギアの終点

NHK教育でやっていたETV特集「新しい文化"フィギア"の出現」、サブカルサイドの人間としては、自分が正しいと思う方向と同じベクトルにまとめ上げられていて、見ていて嬉しくなった。

村上隆の「Miss ko2」を代表としたフィギア作品が、海外でも現代美術として億単位で取引されている。ワンフェスなど大衆文化から始まったフィギアが、芸術文化と認められるほどの精巧さメッセージ性を持ち合わせてきたのだ。つまり、フィギアは完全に芸術の域に達している!そういった内容の特集でした。

芸術ってことは、今学校の美術の教科書に載っている「国宝 阿修羅」と同じ時間軸上に「フィギア」が乗ってきたとういうことだ。逆に言えば「国宝 阿弥陀如来」も今で言えばフィギアなのだ。100年後の教科書には、「マイ・ロンサム・カウボーイ」が載っていることでしょう。

仏像が「極楽浄土」を模していると同様に、美少女フィギアへの萌えも日本特有の平和主義国家が生み出した「極楽浄土」に違いない。

んで本題。番組で文化人類学者が言っていたのだが、「仏像には等身大がない。数十メートルか手のひらサイズである。」だそうな。つらい現実との乖離だからね、自分と同じサイズじゃ得られません。今、フィギアは手のひらサイズがほとんどだ。

ってこたぁ、次にくるのは「40m弥勒菩薩級の特大美少女フィギア」だ!
これがフィギアの終点と見た。

どうですかね、村上隆さん。商業的にいいにおいしてるでしょ?
一度立ててしまえば数世紀単位で観光客がきてガッポリ。国宝も狙えるね。